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9月, 2017の投稿を表示しています

不思議な宇宙人、Si-rabeiさん

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今回、日本でツアー(Siくんワクワク大作戦〜家庭から宇宙へ)を一緒にする Si-rabeiさんは、きっと 宇宙人 だと思う。笑 と笑いをつけていますが、半分本気です。 何でSi-rabeiのことをブログに書くかと言うと、皆さんに是非、日本縦断ツアーで 彼女に会ってもらいたいからなのです。 Si-rabei自身、面白い要素満点なのですが、多すぎるので 下記に彼女がしてることや彼女のことを簡単にまとめます。 ソマチッドと血液観察 ソマチッド研究家である彼女のソマチッドの話と血液観察は一見の価値あり。 例えば、ツアーの名前の「Siくん」というのは「ソマチッド」という 私たちの体に必ず存在する水溶性ケイ素のこと。 ※水溶性ケイ素、詳しくはSi-rabeiのブログで https://ameblo.jp/si-rabei/entry-12069728696.html https://ameblo.jp/si-rabei/entry-12273620625.html Si-rabeiはSiくんの存在する血液を顕微鏡を使い、観察し、その人の健康状態 だけでなく、ストレスなど、抱えていることを言い当ててしまいます。 面白いのは、 受けている側も Siくんの動きを現実に見ることが出来る ということ。 もう、現実からは逃れられないですよ〜。笑 しかし、 ということは、裏を返せば、 現実を変えられるチャンスですよ〜 。 ということなんです。 しかも、それは 自分からのメッセージ ですよ。(だって自分の血ですもん) 今のままで大丈夫というメッセージを受ける方もいます。 実際、私も血液観察を受けました。Siくんが最初は「いない!?」とビックリして いたのですが、実際は細か過ぎて、見えづらかっただけでした。 そう、Siくんはストレスや不純物を食べるので、Siくんの存在は数だけでなく、 大きさでもどういう状態かわからせてくれます。 私の知人は健康な人。しかし、ソマチッドの量が少ないと言われていました。 その人は健康的な食事を毎日続け、沢山の人に喜ばれることを行なっている方です。 喜びで溢れた毎日のはずなのに『なぜ?』 と思っていると、Sirab

[おそうじダンス]あなたの輝ける場所が家庭にもある

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おそうじダンス体験者から、おそうじダンスのどこが良いのかを語られた(笑) ので、それをもとに、自分の体験も交えて下記にまとめたいと思います。 (伝えたいのは題名のことなのですが) ・家でできるので出費はない ・家がきれいになる(きれいを保てる) ・声を出しながら行なえば発声練習になり、よく声が通るようになる (しかもフォームが良いので無駄な力が喉などに入らない) ※坐禅後の読経で違いを感じてます ・呼吸が深くなる ・終わった後の気分が最高、そのあとの仕事がはかどる ・誰にも縛られない(やりたい時にやる) ・お腹の調子はいつも良い ※どうやらそうじダンスフォームで、横隔膜が正しい位置になり、呼吸とともに 動くことで腸を自然にマッサージしてくれるそう {ドイツ在住、現在理学療法士試験中: 筆記と口頭試験合格、後残すは実技のみ、 がんばれ)カズさん談} ・肌はきれい(これは人に言われただけなので、自分では言いません。笑) ・体重が増えない。 (一回の食事でごはんを必ず2杯は食べてます。間食もします。) ・全身を使うので、柔軟性が保てる&上がる。 (特に肩甲骨周り、股関節など) ・フォームは難しくないので、考え事をしながらできる ・引っ越して、すぐに行なったことで、オーラマーキングの効果があったのか、 こどもが(もちろん自分も)寝付きやすかった ・おしりの筋肉があがった ・怪我のリスクが少ない 以上、 色々書きましたが、懸念されることがあります。それは ・ 続けられるか ・ 一人で家で行なう時の孤独さに耐えられるか の二点です。 そこに光を当て、 おそうじダンスワークショップを 通し 払拭 していきたいと思っております。 日本でのワークショップ参加者はダンサーの多いところや主婦が多いところなど、 様々だと聞いております。主催者の方と相談しつつ、 同じこと一辺倒ではなく、その場その場に合わせたワークを考えていきます 。 ポイントは 喜び です。 私自身、ベルリンでも色々と即興ダンスのワークショップを受けてきました。 ※例えば、そのひとつに、パートナーと組んで、一人が目を瞑り、 一方がその目を瞑った人の全身をマッサージするなど。 その時の私のパートナーは女

Kreativ Tanz

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昨日は全部で8人の子どものクラスを行ないました。 子どもたちの本来持っているものを引き出し、それを発展させるのが 私の役目です。 この日は、パントマイムの要素をしっかり入れてみようと思いました。 3、4歳の子どもたちにとってパントマイムをすることはとても難しいことだと 思われているんではないでしょうか。 なぜならパントマイムは自分の体がどう動いているか、そして、どう見えているかを しっかり把握していないと出来ないからです。 しかしそれは大人の話。 今日は果物を摘んだり、キノコを採ったりする動きを見せていると、 どんどん真似をする子が増えていきます。動きも素晴らしい。 これは脳ではなく体で覚えいる証拠です。 「どうしたら野菜や果物を採っているように見えるか」は気にしていないんです。 やっぱり子どもって凄いなと思いますし、早い段階で体で動きを覚えることが 出来るようになると大人になった時に 「振り覚えが早い」「新しい運動を習得する時間が短い」 「踊りの表現が豊かになる」など色々と役立ちます。 私自身、小学生の時にパントマイムをしたくて、鏡の前で毎日練習しました。 (自己練というやつです) そうするとどうなるかと言うと、だんだんと自分の体を思った通りに 動かせるようになるという利点が生まれます。 色々なスポーツをする時に自分がどんな動きをしているかが、わかるのです。 (これは運動神経が良いということ) 高校生の時に体育は学年1位の成績でした。体育は。そう体育だけは。 なにより、ダンスに役立ちました。 子どもたちが将来もダンスをするかわかりませんが、これらの経験は 必ず将来彼らの宝になることは間違いありません。 ポイントは楽しみながら!!です。 今日も子どもたちにありがとう。感謝 誕生日会でのダンスの一コマ。私、大汗です

【その6】おそうじダンスって何と聞かれるので、、、   「開運とそうじとの関係」

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永平寺の禅僧から教わった毎朝の雑巾がけが、ダンスレッスンの代わりになり、 芸術家の前で思うように体を動かせたことにつながりました。 そして、そのことが、私をふたたびダンサーとして舞台で踊らせることに つなげてくれたことは、 前回のブログ でお伝え致しました。 そのことも「運を呼び込んだ」とも言えるのですが、 それだけでは終わりません。 この時期、私の意識に、ある変化をもたらしていました。 それは「雑巾がけが好きになった」ということ。 毎朝、坐禅の前に広い部屋の雑巾がけを行なうというのは、 結構大変なように思えますよね。 しかし、私はいつしか、雑巾がけをしていくうちに、道場が見る見る美しく なっていく喜びを感じるようになり、また、掃除が終わった後の心と体の すっきり感がとても心地よくなっていたため、大変さを感じなくなっていたのです。 そして、そういう気持ちで坐禅道場代行人を続けていたある日のことです。 いつものように坐禅が終わり着替えていると、道場のオーナーの女性が私に 話しかけてきました。 「あなたダンサーだと聞いたんだけど、、、」 これが私の夢を叶えることになったやり取りの、最初のフレーズです。 私の夢は子どものためのダンスクラスを持つということでした。 そう、彼女はなんと、私に子どものダンスクラスを自分のスタジオでして ほしいというオファーを突然私にしてきたのです。 私は、自分の夢を彼女に話したことはありません。 たまたま、スタジオのオーナーである彼女がダンスの先生を探していた時に、 風の噂で私がダンサーだということを聞いたそうです。 これは「奇跡」でしょうか? 掃除をしたから、そのことを呼び込んだのでしょうか? 掃除の回数?多さ? おそらく、頭では「そうじをするのは」 ''良い’’ことだと思っている人は 多いかと思います。確かに目の前の現象は自分を映し出す鏡だとすれば、 そこを綺麗にするだけで、自分の心も綺麗になっています。そして、 内面が磨かれると、それがその人を包むオーラになりますよね。 しかし、なぜ、夢が私のところに歩いて来てくれたのでしょうか? これは持論なので、皆さんの中に答えがあれば読む必要はないと思いますが、 今回の日本ツア

おそうじダンスって何と聞かれることが多いので・・・・背景 その5 ※そろそろ終演予定!

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新しい道場を禅僧の代わりに開け始めて約1ヶ月ほどした時、 とあるサイトで、舞台公演に出演する一般参加者を募っているのを 目にしました。 100人(様々な職をもつ人たち)が一つの舞台に上がり、 ひとつのことを表現するという内容。 私は、それに応募し参加者として舞台に立つことになりました。 そして、ある出来事が参加者として行った初日に起こります。 参加者同士やスタッフ、芸術家数名と軽く挨拶を終えると、 すぐに本番に向け実践練習開始です。 やることは難しくありませんでした。至ってシンプル。 舞台に一人一人上がり、最終的に100人全員で同じ舞台の上に立つ。 また、一人ずつにセリフが与えられ、マイクを持って話すだけです。 練習が始まり、参加者一人ずつ芸術家の前でセリフを言っていきます。 皆のセリフに共通して入れる必要があったのは「今現在の自分の職業」でした。 私が選んだのは、もちろん「見習い坊主」、、、ではなく「ダンサー」。 ドキドキする中、私の番がきました。 「私の職業はダンサーです。」 片言のドイツ語でそう言った後、数人いる芸術家の内、一人の女性が 私に質問してきます。 「あなたダンサーなの?」 そして、彼女は立て続けに予想外の質問をしてきます。 「今、踊れる?」 ・・・・もう、やるしかありません。 ここまで幾度となく聞いてきたセリフです。 結婚を機にサラリーマンになってからというもの、いろんな人に踊ってと 言われてきました。しかし、それとはちょいと次元が違います。 そして私の本気度が違いました。 「Yes」 私は、その時に降りてきた舞を表現します。 ほんの数秒の舞。 芸術家の彼女が、私をしばらく見つめた後に告げたことは、 「うん、じゃぁ本番でも踊って」 こうして私はドイツの舞台の上でダンサーとして、踊ることになったのです。 この展開も驚きでしたが、なによりも自分が驚いたこと、 それは、彼女の前で踊りを披露した時に 自分の体を滑らかに思い通りに動かせた ということ。 日本でダンサーとして活動していた時は、ほぼ毎日ダンスレッスン、一日に レッスンが二回入ることもあるし、公演の稽古の時はそれ以上になります。 しかし、ドイツに来てから、

おそうじダンスって何と聞かれることが多いので・・・・背景その4 転機

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長くなりましたが、ここまでのことを簡単におさらいすると、 ・未だ見ぬ何かを求め渡独も、到着後、数日で坐禅道場代行人になる ・道場では坐禅&読経だけでなく、永平寺の禅僧に教わった 「掃除(雑巾がけ)」を毎朝行なう ・約3年間、自分のしたいことが見つからず悶々としながら生活を送る ・雑巾がけが日課になる ※合掌が癖になる。。。 さて、そんなドイツ生活を送っていた時に少しの変化がおきます。 そのひとつが坐禅道場の場所が変わったということ。 ベルリンでスタジオを保有するある女性が、禅僧に自分のところでも 開いてほしいと依頼したのがきっかけでした。 そのスタジオの面積は、今までの道場よりも何倍も広いところでした。 広いということは必然的に''何かをすること''が増えるのです。 そう、雑巾がけ!!!です。ガビーン。 坐禅道場(スタジオ内)、廊下、更衣室(大、小)、トイレ、すべてをです。 新しい道場を見た瞬間「ここを雑巾がけかいっ!?」と ひとりでツッコミをいれてしまいました。(それくらい広いのよこれが奥さん) そして、ある時、またまた禅僧からのささやきが(?)。 「ちょっと3ヶ月ほど仕事で道場を開けるのだけど、、、」 この時の私はちょうど、ドイツ滞在のためにVISAをどうするか決めないと いけない時期に入っていました。変わらず悶々とした日々を過ごしています。 禅僧も私の状況がわかっているのか、その後の彼の言葉は私の想像していた ものと違っていました。 「、、、今回は長いし、道場を一旦おやすみにしようかな。」 私は直感的に彼に伝えていました。 「私にやらせてください」 自分でも不思議です。 今回は彼の頼みではなく、自分がやらせてほしいと言っていました。 早朝5時には起きて、6時半からの坐禅です。その前にはもちろん雑巾がけ。 朝、早起きのためには夜早く寝なければなりません。寝坊できません。 自分の道も決まってないのに大丈夫なのだろうかと、頭もよぎりますが、 私の心(魂)の声が表にでたんだと思います。 この決断がひとつの転機を迎えさせます。 私を魂の踊り手に導く、ある出来ごとが起こるのです。 つづく、、、、 ※思った

おそうじダンスって何と聞かれることが多いので・・・・その3「私がドイツに来た理由」

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何で私がドイツに来たのか?と『そうじダンス』はつながるのでしょうか。 一見、全く関連性を持たないと思っていたことが、実は全て今につながっている。 あの時はなんとも思ってなかったけど、今思えば必要なことだった。 そういう経験を皆さんもお持ちだと思います。 そして、当時の私はまさに未来に何が起こるか想像すらもしていませんでした。 ベルリンに来て数日で坐禅道場代行人に抜擢(?) 道場の掃除と坐禅、読経の毎日。 私がドイツに来た理由、、、 それは、まだ見ぬ"何か"を見つけるため。でした。 日本でダンサーとして舞台に立ち、結婚を機に一般企業に就職、 二つ目の職場は仲間たちに恵まれた素晴らしい環境でした。 しかし、一方でこのままで良いのだろうかという不安があったのも確かでした。 このまま働き続ければ、将来も安定した経済で家族を養い暮らしていけるだろう、 でも、私の魂が求めるものは果たしてそれなのか、と。 そうやって過ごしていた3年目にその仕事を辞め、 ドイツへ行くことを決断します。 来る前にあったのはパッションだけでした。 来たら凄いことが起こるに違いない!大変化が訪れる!道が拓ける! やることは決まってないのに、とりあえずワクワクしていたのを覚えています。 正直、坐禅道場代行は珍しい経験だと思います。しかもドイツ。 ただ、私は坐禅をしに来たわけではないという思いを 持っていました。(このままだとお坊さんの道!?とも) 当初、寒いというのもあってか坐禅道場に来る参禅者は一人か二人。 もちろん来ない日もあります。誰も来なくても掃除と坐禅、読経はします。 なんて孤独なんでしょう。 しかも、朝でも暗く、部屋の電気は消す(ロウソクの明かりのみ)ので、 何か出てきそうでちょっと怖い。 (余談ですが、一番怖かったのは鍵をあけてから、10秒以内に防犯アラームの タイマーを暗唱番号をうって消さないといけなかったことです。もうスリル満点) そんな孤独と恐怖(?)の中、どうしてここ(ドイツ)へ来たのだろうか、 何をしたかったんだっけ?という自問自答は続きます。 いつの間にかパッションは薄れ、毎日淡々と生

おそうじダンスって何と聞かれることが多いので・・・・その2

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日本からベルリンに来て数日で始まった坐禅道場代行人。 (それ以前の話しは 前回のブログ をご覧ください) 毎朝、掃除、坐禅、読経の日々が始まりました。 ※正直、そうじダンスを簡単には語れないため、その原点からお話をさせて いただいております。 ベルリンの2月。外は凍えるような寒さで外は真っ暗。 お借りした自転車で毎朝5時前に起きて道場に向かいます。 そしてすぐに坐禅かと言ったらそうじゃありませぬ。な、な、なんと、 (掃除)雑巾掛けをしなくてはならなかったのです。 そう、私に道場を開けてくれと頼んだお坊さんは永平寺の禅僧。 永平寺の禅僧と言えば「坐禅!!」とすぐに思いつく人は多いと思います。 しかし、彼らが一日の約8時間も掃除に費やすほど「坐禅」と同じ ように「掃除」を大切にしているというのはあまり知られていない のではないでしょうか。 そんな禅僧から掃除を教わったため、道場代行人が始まってからというもの、 気分はお坊さん。 (余談ですが、そうじ自体は至ってシンプル、しかし、彼の掃除している姿は 無駄なく本当に美しいものでした。) 道場を開け始めてすぐに気付いたことがあるんです。 それは、掃除をした後、と〜ってもすっきりするということ。 部屋だけではなく、気分も良いのです。 まるで瞑想した後のように。 そして、掃除をした後は必ずと言っていいほど体がホカホカするのです。 二月という寒さ。掃除をする時には窓を全開にし、さらに、 いつでも坐禅道場に参禅者が入れるようにドアは開放したまま。 掃除をする前は本当に体がブルブル凍えそうな状態です。 それでも、坐禅をする時には半袖でも十分なほど体があたたまって いるのです。 そんな生活が数ヶ月、毎日続きました。。。 「ちょいと待った!私は一体ベルリンに何しにきたのでしょうか?」 すべて繋がっています。 次回は私が一体ベルリンに何しにきたかを綴らせてもらいます。 そうじダンスを語るには通らなくてはいけない道です。 遠回りが一番の近道、、、と信じて。 写真は初代自転車 ✩西日本縦断ツアーの予定✩ 【主催】 ありがと菜  甲斐さおり 10/23  Siくんワクワク大作戦~家庭から宇宙へ in 東京~

おそうじダンスって何と聞かれることが多いので・・・・その1

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今日もありがとうございます。 タイトルにある通り「そうじダンスって何?」と良く聞かれるので、少しずつ ブログを通しお伝えしていきたいと思います。 まずは、そうじダンスを語る前に、そのダンスが生まれた背景をお話いたします。 (日本ツアーを一緒に旅するしらべいさんもそうじダンスのことを 記事 にしてくれてます。) 私は約3年半前に東京からベルリンに引っ越してきました。 そして右も左もわからない中、その数日後には坐禅道場を開けることに なってしまったのです。 ベルリンで活躍する日本人のお坊さんが、仕事でベルリンを数ヶ月間不在にする ということで、私に道場を開けることを頼んできたのが全ての始まりでした。 とは言っても、やることはそう難しいことではなく 「坐る環境を整える」&「坐禅後はお経(般若心経)を唱える」ということが 私の仕事でした。 ※そこでの細かい体験はいずれブログで紹介します。 まず、ここで出会ったお坊さんが禅寺として有名な永平寺で修行を積まれた禅僧 だったというのがポイントです。永平寺は曹洞宗。曹洞宗の開祖といえば道元さん。 道元さんといえば「只管打坐(しかんだざ)」。ただ、ひたすら坐る。(つらそ〜) 私は当初、そういうイメージしか持っていなかったのですが「何か違うぞ?」 と思ったのは、その禅僧に「坐る環境を整える」ことを教わった時でした。 そうじは奥から、そして上から下へ・・・そして床はダイナミックに雑巾掛け。 トイレから何から何まで床を箒で掃いた後は全て雑巾掛けです。 (雑巾掛けをするため、余計な物たちは部屋の一カ所にまとめます) 「えっ、モップあるのに手で雑巾掛け!?」 「坐禅が朝6時からなのに5時から掃除するの!?」(当時二月ですよ。。) 「これを毎日、数ヶ月も!?」 「がび〜ん」 は言い過ぎですが、ベルリンに来て数日で、行なうことになったこの体験は とても新鮮でした。 そう、ここがそうじダンスの原点だったのです。 その時は、まさかこうなるなんて思いもしませんでした・・・・続く(長いので) 写真はベルリンに引っ越した翌日に食べたクロワッサン。。。 ✩西日本縦断ツアーの予定✩ 【主催】